21 イタリアとわたし第21話 イタリアとわたし
最近イタリア生活に関する愚痴ばかり日記に書いているので、 さぞかしマミはイタリアに嫌気がさしているんだろう、 早く日本に帰ってくればいいのに、とお思いの方が ウチの両親をはじめ相当数おいでであろう。 確かにイタリアが好きかと問われると「はい」と即答できないのが本音で、 けれども憎からず思っており、 今となってはわたしの生活のすべてであるので 何だかもう50年も60年も連れ添った夫婦の お互いを思う感情に似てるかななんて思うのだ(違うか?)。 バスが来ないのに苛々しては、 ところで歴史のことを書くと、「マミちゃん、世界史の先生だったから詳しいよねー」とよく言われるが、 しかし、実は今思えば2度ほど「出合って」いる。 一度目は「キヨッソーネ」の話を通じて。 エドアルド・キヨッソーネ(EDOARDO CHIOSSONE)。 1833年、ジェノヴァ生まれ。 また、キヨッソーネの日本美術コレクションは世界でも屈指のもので、その数約1万5千。 余談になってしまうが、このキヨッソーネの展覧会を数年前に鎌倉で催した人たちがいる。 で。 そうそう、幼い頃父に聞かされた、「日本に西洋印刷技術を伝えた人物」が 二度目の出合いは「ジョーシュー」というあだ名の高校時代のクラスメートのおかげで。 わたしが通っていた高校は帰国子女受け入れ校である。 ハラダさんは毎日のように遅刻をしてきて 夏休み明けだったか、彼女にゴンドラの形のキーホルダーをおみやげにもらった。 ジョーシューは今どうしているのかな。 (2005年4月) |